会社の創業期は2001年、折しも世の中は、バブル経済がはじけ、経済はどん底状態でした。
この数年前ITバブルはありましたが、創業期には、そのITバブルでさえ、消えかけていました。
しかし、どんなに景気が低迷しても、人間が生活している以上、経済は動いていく訳であり、その時代必要とされるモノや社会貢献の高いモノは、需要あるため、必ず私のコンセプトは世の中に受け入れられるだろう、そう思い今日までそのコンセプトを守ってやってきました。
いよいよ平成と言う時代が終わろうとしている今、ホームページの仕事だけではなく、長年サポートしてきた事が他のお客さまからも評価され、展示会サポートサービス、求人獲得サービスと新しいサービスを始める事になりました。
弊社がどうしてこの様な会社になり、現在このような事をしているのか、またこれからどうの様に弊社がお客さまと共に成長していくのか、私の経歴と共にご紹介させて頂きます。

私のビジネスの話を始めるのなら、学生時代にさかのぼる必要があります。
高校生の時ある喫茶店でアルバイトをした時です。
その喫茶店、1杯1杯ペーパーフィルターで珈琲を落としてお客さまに提供する喫茶店で、地域でも珈琲が美味しいと評判なお店で、かなり遠方からも美味しい珈琲を求めお客さまが集まってくるお店でした。
当然、評判のお店です。アルバイトで入ってきた私が、お客の前で珈琲なんて落とせる訳がなく、そのお店の店長自体が、珈琲に洗練された人で、1杯の珈琲を作るのに、まさに全身全霊の姿でした。
しかし、当時の私は高校生、そんな全身全霊が分かる訳もなく、「1杯の珈琲にバカじゃない」と言う態度で仕事をしていました。
高校生のアルバイトですからね、時間にいて、時間給が出れば申し分ない、そんな考えで仕事をしていました。
それでも、時間が経っと、お店の店長とは仲良くなり、原価計算、効率のよい洗いもののやり方、メニュー、人の動かし方、将来、私が珈琲店でも持てば役に立つ事をこれでもかと教えて頂きました。
お店を辞める時まで、教えて頂いた事への恩義は当時は感じませんでしたが、この後、私の人生が激変するのでした。

実は、もうひとつ、高校生の頃から目指していた事があり、その時、俳優になりたく、劇団に入り、タレント事務所に所属していました。
また、ロックが好きな事から、バンドも結成、言わいるエンターテイメントの世界で食べて行きたく、毎日、芸を磨く少年でした。
しかし、高校を卒業しても、芸で食べられる訳でもなく、芸事の修行の他にお金を稼げる仕事をしなければと思い、仕事を探すと、高校生のアルバイトの経験から、大手のコーヒーメーカーから、喫茶店のコンサルティングをしてくれないかと誘いを受けることになりました。
どうやら、アルバイトで出会った店長の弟子として、噂が広がり、かなり高給でお店の立て直しの依頼を受けることになった。
始めは、出来るかなと、少し迷いもありましたが、店長の教えと自身の感性で、この後数十店舗の個人経営の喫茶店の立て直しに貢献してきました。
なので、現在では、当時の店長が私の師匠であり、いやいや仕事をしてきた勘はあるのですが、その方と出会いを得て今は良かったと思っています。

順調のようにみえる飲食業のコンサルティングだが、私にとってデメリットもあり、それは、若くしてコンサルタントになった事。
大手コーヒーメーカーの依頼で、新しいお店に行っても、従業員って私よりも遥かに年が上で、ふたまわりも上の人が店長をしている事なんてざらで、若い私が来ても、取り合っても貰えないし、協力もしてくれない、これには本当に困った・・・・・
逆にこの小僧、早くいびって辞めさせようと企む輩までいるほどで、当時は本当に大変だった。
しかし、最後に受けたお店では、とても簡単に話せる話ではないことが起き、飲食業界に嫌気が差したのと、芸事を目指していた私だけど、周りから就職の話が多くなり、「もう芸事は辞めて、うちの会社に来なさい」なんて声が増えてきた事も有って、一旦飲食業のコンサルは終わりにしようと、別の仕事を探す事になった時に、ある会社さんの薦めで、ガソリンスタンドの業界で腕を振ってみないかと誘われ、車に興味がなかったのですが、以前、乗っていた車が故障して散々な目に合った事から、車の事を覚えられたいいかなと思い、ガソリンスタンドの世界に飛び込む事になりました。

ある意味、初めての商売替えをしたんですが、仕事し始めは、初めての環境であたふたしましたが、ガソリンスタンドも飲食業も、店舗であり、お客をむかい入れる商売には変わりなく、次第に仕事人としてのキャリを高めて行ったのですが、しかし、これが不思議で、初めは、売り上げを上げる事で仕事に楽しさを感じていましたが、自分が商売にのめり込むほど、自身の頂くギャラや会社の扱いに不満を覚える事になりました。
飲食業は自分にとってある意味楽しい面があるのだが、ガソリンスタンドには魅力を感じることが出来ずにいました。
しかし、それでも辞めずに長いことを働いたのは、ガソリン業界の親会社は一流企業であり、研修もまた一流の教育を受けさせてくれて、嫌嫌な部分も有ったものの、しかし、マクロやミクロ、マーケティングなど詳しく教えて貰う事で、飲食業の経験プラスガソリン業界の数字化が合わさり、ますます、データを作り、そのデータを分析して、次の戦略を作っていく流が、私にとってとても肌に合っていたのでしょうか。
なかなか辞める事が出来ず、ずるずる業界に居座る事になりました。

この頃まで、自分が起業するなんて考えてもいませんでした。
実は、10代の終わりに、友人達とあるお店を共同経営した事はありますが、その仕事を一生やって行こうとは思ってもいませんでした。
ガソリン業界での私は、ある事でローカル的に有名人になった事で、色々な会社からヘッドハンティングを受けるようになっていました。
しかし、ガソリン業界の仕事には魅力を持つことが出来ず、もんもんとしていた私に、ある事件が襲い掛かります。
事件の内容は詳しくは書きませんが、この事件をきっかけに、自身が歩んできた道、功績、これからの事をゆっくり考えるようになっていきました。
また、その頃と同時に、ガソリン業界ではない業界からも仕事の声が掛かったり、取引先の会社の社長さん達からは、独立などを薦められるようになりました。
しかし、転職や独立と言っても、やりたい事が分からない以上、無理にしてもまた同じ道を辿るだろうと、そう考えると、さらに悶々とした時間が流れて行くだけでした。

この頃、Windows95などが発売されコンピュータが大変に身近になった。
それまで、会社のPC98と、自身が持っているワープロで仕事をしていたのだが、ワープロが壊れてしまった。
ワープロが壊れたままだと仕事が進まない為に、新しいワープロを買いに出掛けたのだが、やはり、価格の事を考えたら少し奮発しても、コンピュータを買った方がいいのに決まっていると思い、コンピュータ購入の為に、情報を収集しました。
で、詳しくは書きませんが、情報を収集する事で、なぜか、Windowsではなく、Apple社のMacintoshに魅了されてしまう事になりました。
カッコよく表現すれば、Macに一目惚れして、Macを買い込んでしまいました。
それからと言うものMacを使いこなすために、本や雑誌を買い、Macを使う日々が続きある時、デジタルの世界でクリエータが大変に不足している事を知り、色々と調べて行くうちに、クリエータの世界に魅了され、自分がこの道に合うのかもしれないと思い、デジタルの学校に通い始める。

勿論、クリエータになる為の学校は、転職する為と、いずれはそこから独立する事を念頭に行動に起こしました。
本格的に、独立を目指したきっかけのひとつは、取引先の会社のNo2の方と仕事上よく接触するのだが、お互いに挨拶程度で詳しく話をした事もなく、ちょっと近寄りがたい雰囲気も合った人なんですが、その方の経歴が、私と近い人で、そんなある日、何時ものようにその方と会って、ふたりで移動するのですが、普段は、挨拶程度で何も話さないのですが、そんなある日、しゃべらないクールな方から「お前は、何時もまで今の仕事を続けようと思っているんだ」と聞かれて、「実は、転職の為に、今色々と動いています。出来ればいずれは独立したいと思っています」と私が返すと、本当に普段は、しかめ面している人が、私の意見を聞くと、満面の笑顔を返してくれて「そうか、がんばれよ」と一言言葉を返してくれました。
その時、何か凄く嬉しくて、その後、取引先の色々な経営者の方から、仕事の誘いや、今の仕事は向いていない、経営者向きじゃないかと言われるようになったので、クリエータの学校では、一心不乱に、後がない、頑張ろうと言う気持ちで勉強に励みました。

クリエータの学校は、想像以上に楽しく、逆にまた、若い子や女性の進出が目立つ事も有ったので、遅咲きの私には、大きな緊張感ももたらしてくれた。
で、実は、一言にクリエータと言っても、クリエータの何の仕事に就きたいかが、決まってなく、映画が好きな事から、映像の世界に行きたいと思っていたが、当時は、映像の世界の方は、訳が有ってなかなか就ける雰囲気ではなかった。
ま、ポスターやカタログを作るのもいいな、私の創ったポスターなどで感動を与えられたら嬉しいよな、なので、3DCGを使って、紙の表現などに力を入れていたのだが、卒業前に行った最後の授業が、ホームページの世界で、当時は、インターネットこそ有ったものの、まだまだ一般に普及しておらず、制作やインターネット仕組み、今後の需要を考えたら、正に、自身の血が騒いだと言うか、5年先は大きなビジネスに広がりを見せると確信して、ウェブの世界を本格的に目指そうと思った。

学校を卒業すると、「卒業」→「就職」→「独立」と言うのが、普通だと思うけど、私の場合、卒業時に、作っくた作品が業界雑誌に掲載された事から、「卒業」→「フリーランス」→「会社設立」→「就職」→「独立」と奇妙な道を進む事になります。
当時は、このデジタル業界、生まれたばかりの業界だけあって、人も不足していたら、業界のルールさえない状態だったので、学校出たての子が簡単に起業して成功する何とも奇妙な世界であった。
雑誌の恩恵で、フリーランスとして仕事をこなし、そのフリーランスの仲間と会社を作り、ITバブルの中にいました。
しかし、とんでもなく仕事が入り、高額なお金を手に出来るのだが、私としては、「これでいいのか」私がWEBで思い描いていた世界、制作とサポートとは、ほど遠かった・・・・
結局、ITバブルがはじければ、会社は経営危機、結局、就職して、需要を学ぼうと、大手のデザイン会社に入社したものの、そこでも、ルールのないWEBの無法地帯が待っていて、自分の思い描いていた理想の仕事とはほぼ遠かった・・・・

フリーランスの仲間と一緒に作った会社でもそうだったけど、デザイン会社でも、ジレンマの中で仕事をしていました。
例えば、企画を出す、提案を出す、しかし、いずれにしても、その企画や提案が生きてこない、それもそのはず、頭にあるアイデアだけを具体化しているだけだから、結果に繋がる訳ではない、また、制作って、良いデザイン、お客さまが喜んで貰えるデザインを作れば、それで仕事は終わる・・・作ったサイトが無能でも、制作者には関係がない、当然、そのうちお客さまから不満が出てくる・・・・
あるお客さまから「不満」を言われた時は、本当に情けなかった・・・・お客さまの言い分はもっともだと思っていた。
正直、デザイナーって、ある意味、制作者としてはプロなんだけど、しかし、世の中の動きや需要、ビジネスライクが読めないんだよね。
ITバブルがあり、企業はこぞってホームページを作る、しかも、世の中景気が悪い、その景気の悪さから、何処も何とかしたい、何とかしなくてはと思っているのだけど、そこから脱皮が出来ない、ホームページを作る時だけは、夢や期待感だけはあるんだけど・・・・
期待と希望を持って目指してきた業界がさんさんとしていたとに気がつくと落胆していくだけだった・・・・

ここでめげなかったのは、友人の紹介で知り合った言うところの「オタク」と言われている人の存在だった。
その人は、趣味のサイトを自分で作り運営しているのだけど、これが凄くダサイデザイン、しかし、日のアクセスが物凄く、その人のサイトには、スポンサーがついていて、そのダサイサイトデザインで、同じ趣味の人を集め、その人たちを楽しませ、お金まで稼いでいる。
これには、ウェブを作る制作者として、自分の作るサイトより、紹介された人の作ったサイトの方が価値があるのかもしれない、そう思うと何とも情けない気持ちになった。
同じ頃、あるお客さまからの相談で、作ったホームページを色々なキーワードで検索エンジンにかけるにはどうしたらいいのかと相談を受けた。
続けるように、お客さまは、「結局、良いデザインであろうが、いい企画であろうが、見られないのでは結果に繋がらない、結果に繋げていくには、検索エンジンに、出来るだけ関連するキーワードをかけて行く必要があるんじゃないか」そう言われて、最もだと思う反面、制作したウェブサイトを検索エンジンにかける事など出来なかったと言うのが本音だった。

相変わらず、もんもんとした日々を過ごしていた。
デザイン会社では、制作と営業、その上で広告代理店さんの担当者が加わり、何だが理に叶わない、私としたら全く意味のない話合いの日々が続く。
ひとつ、意味のないエピソードを披露しておきましょう。これはあるタレントさんのホームページを作った時の話で、制作である私が、直接タレントさんとホームページの打合せをする事など本来ないのだが、実は、その制作物の時は、制作である私と私側の会社の営業、広告代理店の担当者、タレントのマネージャーさん、タレントさんと5人で打合せをした。
勿論、制作物は、タレントさんの紹介に使うホームページなどで、タレントさんが要望をしゃべる。
そんな打合せの中、私自身、以前は芸能の世界に興味が有った身だったので、色々な世間話から、そのタレントさんと意気投合して、打合せ中、仲よく色々としゃべり、私としても短い時間では有ったが、そのタレントさんの要望や好みを的確に感じとったので、すぐさま制作して、そのタレントさんのホームページを作ったのだけど、制作物に、私側の営業、代理店の担当者から、結構な数の駄目だし、修正点を指摘された。
しかし、あれだけ、密度の濃い打合せをして作った制作物で有ったので、担当者達の駄目だしに、納得がいかず、かなり強引に、タレントのマネージャーを捕まえ意見を聞いた所、マネージャーさんは大変に喜んで頂けて、後日、タレントさんに確認をとると、一発でOKが出ました。
その時、本当にこんな仕組みで仕事をして、お客さまに満足されるホームページ、機能を果たせるホームページをこれから作れるのか、そう思うとかなり自分の将来に不安を覚え、会社に辞表を出しました。

会社を辞め、ジャムハウス立ち上げに奮闘するのですが、しかし、だからと言って秘策がある訳ではありません。起業当時のジャムハウスでは、やはり、デザイン会社と言う色の強い会社からスタートしました。
しかし、これまで描いていたホームページ制作への矛盾や問題をクリアするべく、色々な会社さんに営業をかけ、ホームページの制作、そして、試行錯誤、また、幾つかの会社に頼み込み、実際にホームページの運営にも関わらせて頂きました。
制作者で有る前に、実際に運営に携わる事で、様々な事を覚え、今まで感じていた矛盾に、問題点などが少しずつですが、解決する方向に向かい、それと同時に、既存のお客さまからも好評価を頂けるようになり、ある程度、私自身が納得する所で、デザイン会社と言う看板を下ろし、広告代理店さんとの仕事を止め、独自の考えを持った、中小企業に寄り添うホームページ制作会社に変貌させることに成功しました。

その後はエンドユーザーさんを対象に、BtoB企業サポート会社として現在に至ります。
東京商工会議所やその他団体からエキスパートやセミナー講師として声をかけて頂いたり、小さな会社さんを大きくしたり、維持させたり、毎日様々な案件や問題と向かい合って業務を進めています。
しかし、いまだに私たちの業務が理解して頂けない方もいるので、時に苛立ちを感じる事もありますが、しかし、信じてくれるお客さまがいる限り、今後もお客さまの繁栄を精一杯サポートして行きたいと思います。